1977年であるが、生徒さんの中井セツ子さん(中井さんは公募団体展“純展”の幹部でもあり今尚活躍中である)から御依頼で丸山陽さんという方の個展の紹介文を書いてくれないかという事があった。 丸山陽さんは笠原先生のご指導のもと、重い障害と向き合いながらの初個展であった。 その時の文章である。 当時の自分の考え方が反映されていると思う。
1987年6月9日(火)〜6月21日(日)、私が39歳のころ、大阪の画廊ぶらんしゅにて企画していただいた個展の記録です。
オーナーの荒居さんが亡くなり、閉廊してしまったギャラリークラマー。目黒にありました。 21世紀を目前にした、2000年に開催した個展の記録です。
コマーシャルフォトという雑誌に掲載していただいた、谷川晃一さんによる原大介の評論文。 1981年当時の私の年齢は32歳、若き画家として死に物狂いで描いていた。